■お陰さまで昼の部・夜の部共に満員御礼となりました、奏舞の会。
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今回振付を担当してくださった花柳壽輔氏から、振付の元案を以前伺っていたので、色々下調べをしたんですが、その時のメモを一部整理したので以下にまとめてみました。


『唐人お吉』×『カヴァティーナ』
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日本舞踊のスタンダードナンバーでもあり、小説・映画・戯曲と様々な形で親しまれ続けている『唐人お吉』。 唐人お吉(とうじんおきち)こと、斎藤きちは実在の人物(1841年-1890年)。

現在の愛知県南知多町内海に、船大工・斎藤市兵衛と妻きわの二女として生まれる。 4歳の時に一家は下田へ移り、間もなくして篤志家に里子に出され、教養を積み琴や三味線を習う。 14歳の時、養家の没落で芸妓となり、お吉と名乗るようになる。 美貌と技芸で瞬く間に下田一の芸者になる。

1856年8月、初代駐日米大使のタウンゼント・ハリスが伊豆の下田へ入港。 1858年、通商条約を迫るハリスの元へ、交渉の引き延ばしの妙手として幕府によって送り込まれたのが当時17歳のお吉だった。 幼馴染の婚約者もいることから、最初お吉はこの幕府の依頼を固辞したが、幕府役人の執拗な説得に折れハリスのもとへ侍妾として赴くことになる。

5年9ヶ月の滞在を終えてハリスが帰国した後は、異人と通じた汚らわしい女と世間から軽蔑され疎外される。 幼馴染・鶴松とは晴れて結ばれるが、家計は苦しく、髪結業を営み始めるが、周囲の偏見もあり店の経営は思わしくない。 鶴松はお吉を汚く思う気持から抜けられず、夫婦喧嘩が絶えないばかりか、鶴松はお吉の髪結いの稼ぎに頼って真面目に働こうとせず、役所に行っては元士分の自分を雇えと喚き散らし、挙句の果てには暗殺されてしまう。

お吉を哀れんだ船主の後援で小料理屋「安直楼(あんちょくろう)」を開くが、既にアルコール依存症となっていたお吉は僅か2年で廃業してしまう。 その後も酒に溺れ続け、半身不随となったお吉は惨めな生活よりも入水を選んだ。 稲生沢川門栗ヶ淵に身投げ、その生涯を閉じる。 享年50歳。

※ハリスに対する憎しみと愛しさの感情に翻弄され、酒に溺れるお吉を演じるのは花柳流・加津代さん。 様々な想いが濃縮されているハズなのに、脆く、儚い印象が尾を引く、そんな作品に仕上がりました。


『保名(やすな)』×『アルハンブラの想い出』
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安倍保名は、陰陽師・安倍晴明の父親とされる伝説上の人物。 『保名』では安倍保名が、妻・榊の前(さかきのまえ)を亡くして、狂乱して嘆き、春の野辺をさまよう姿を描いている。 六代目尾上菊五郎の新演出以降、特に人気舞踊になったと言われる。 ひとりの美男が、狂乱して女性の幻を追う、というスタイルの礎を築いたのが、この新演出、とも言われている。

※『アルハンブラの思い出』のアルハンブラとは、スペインのグラナダ市南東の丘に14世紀ごろ落成したイスラム時代の宮殿のこと。

19世紀後半から20世紀初頭を生きたスペインの音楽家(作曲家/ギタリスト)フランシスコ・タレガがこの宮殿を訪れた際、中庭にあるライオンの噴水に気を止め、溢れ出る水からトレモロをイメージし、この作品の着想を得た、と言われています。

『アルハンブラの思い出』が喚起する美しい情景の中で、今は亡き女性を想い、哀しみにくれる男性を演じるのは花柳流・さきさん。 短調で始まるこの曲が長調で終わるとき、男性の心に残るのは安らぎ、それとも癒えることのない悲しみでしょうか。