■イエール大学で開催された「日本の茶文化今昔シンポジウム・1日目」レポート

アメリカ合衆国誕生以前から存在する、米国で3番目に古い名門イエール大学。 その大学敷地内にあるアートギャラリーにて、二日間にわたり開催された日本の茶文化を紹介するシンポジウムに行ってきました。

朝7時半頃アパートを出て8時半頃Y夫妻とグランド・セントラル駅で合流。 Metro-North鉄道で約2時間かけてNew Havenへ。(New YorkからNew Havenまでは、大体東京~名古屋間の半分くらいの距離。)

アートギャラリービル内では展覧会も行われており、歴史的価値の高い茶道具やNew Yorkメトロポリタン美術館をはじめ国内外の主要展覧会で出展を行う辻村史朗氏の現代茶陶、また掛軸や絵画の代わりにビデオアートをしつらえた床の間などなど、非常に意欲的な内容でした。


シンポジウム1日目は様々な講演者によるレクチャーが朝9時過ぎから夕方5時まで立て続けに行われ、会場に到着した時には建築家の藤森 照信(ふじもり てるのぶ)氏による茶室に関するレクチャーが始まるところでした。 テーマは「極小空間の探求」。 40分ほどのレクチャーで、藤森氏は千利休以降の茶室の歴史、そして自身が建築した現代的な新しい茶室の紹介等を行いました。

藤森氏によるレクチャーの後は小1時間のお昼休み。 後半は辻村史朗氏の講演、そして400年以上続く武者小路千家・千宗屋(せん そうおく)氏による講演。 議題は「茶の湯の現代」。

冒頭にアートギャラリー内の展覧会の感想、そして千氏とお茶との関係について述べ、そもそも何故千家には表・裏・武者小路の三千家に分れたのか、という話へ。 千氏曰わく、喧嘩別れして分れた訳ではないようです。 (以下、メモを元にレクチャー内容を大まかにサマライズしてみました。)

「千家は元々、茶の湯を約400年前に大成した千利休が初代だったが、秀吉に切腹を命じられ千家は一度途絶えてしまう。 その後、同じ過ちを繰り返さないために、千利休の曽孫の代に表・裏・武者小路の三家に分れた。 それぞれの家の名前は各千家の位置関係から付けられ、武者小路通りにあるのが武者小路千家。 三代目が隠居した際にその四男を連れて裏にある隠居屋敷に入り、先代が亡くなった際、四男が隠居の家を継いだので、裏側の千家、つまり裏千家。 そして、元々の千家が表側の千家ということで表千家と呼ばれるようになった。

茶の湯や茶道など、お茶に関する呼び方は様々だが、英語でも、Tea Ceremony、The Way of Tea、等々呼び方は色々。 しかし、いずれもお茶という行為のある側面を切り取った呼び方に過ぎない。 
今から約100年前にお茶を外国人に紹介しようとした日本人がニューヨークに住んでいた。 その人物とは、日本美術に多大な影響を残した岡倉天心。 11代目の武者小路千氏も愛読していた岡倉天心の本“Book of Tea”、この本の中で岡倉は”Teaism”という言葉を使っている。 宗教、儀礼、道徳、芸術、生活文化など色々な意味を包括しうる単語であり、お茶を様々な要素を内包するひとつのシステムだと考えているわけで、天心の着眼点は非常にすぐれていると思う。

しかし100年後の現在、お茶は日本人からも離れた存在になりつつあり、床の間も着物も、日常的な生活の中から消えている。 茶道とは単なる行事作法ではなく、その中には色々な要素が詰まっている事を知らない人も多い。 例えば、お茶を飲むとき、正座をすることが主流であるが、正座をすることで独特の緊張感を味わえ、他者との距離感、お茶の道具や掛け軸、生け花などを観る目線等が生まれる、という様に、正座をすることでしか味わえない感覚というものがある。 正座が出来なくても楽しめるお茶と、正座をすることで楽しめるお茶の両方を、矛盾はしているが、今後取り組んでいきたい。

人々のライフスタイルが変化してる現在、お茶も変化していかなければ、と考えている。 生活の必然的な変化の中でお茶の新しいスタイルも模索していかなければならない。 それには、原点に戻るという意識が必要だと思う。 利休が生きていたら、どうしていただろうか?と考えてみる事がある。 お茶の中にしか残っていない、生活のカタチというものがある。 それらを守るのが、茶の湯に関わる者の勤めだと思っている。

しかし一方で、現代におけるお茶の役割は多様化している。 お茶には、感動できるお茶と共感できるお茶がある。 500年の長きにわたるお茶と、その歴史に触れれば感動を得るものの、現代生活の中に取り入れようとは思いにくい。 伝統的なエッセンスを取り組み、楽しみを分かち合う事、そして共感する事ができる形を模索していきたい。 伝統的なお茶を伝えることと、新しいお茶を模索する、という両輪のバランスを取ることが、自らの一生の勤めだと思っている。

世界に共通する、お茶にまつわる文化をもっと世界中の人々と共有していきたい。 それは、世界のどこにでもお茶を飲み、そこで人々が集うという行いがあるからに他ならない。 美しい物を愛でる、美味しいものを食べ、楽しい会話をする、お茶はそれに尽きる。 それを喜びとすることに、差はどこにも無い。」

今回のシンポジウムには400名近い来場者があり、大半はアメリカ人だったように思います。 公演後は会場から歩いて数分のホテルに一端戻り、その後関係者達の打ち上げに参加。 4時前後就寝。